ソミュアS35戦車 Somua S35 Tank

1940年5月10日、それまで何度も延期されたドイツ軍の 西方侵攻作戦がついに発動され、 「まやかし戦争」(Phony War) は終わりを告げました。 アルデンヌのスダンに主攻を向けたドイツ軍の作戦は英仏連合軍の予想しなかったもので、 連合軍はオランダ、ベルギーでの攻勢にドイツ軍の主な意図があると判断して百万の大軍をベルギーの平野部に進めてしまいました。 そして数日のうちにフランス軍の態勢は崩壊し始め、侵攻開始から6週間でフランスは降伏を余儀なくされることになりました。 この戦闘での死者についてはフランス軍12万人以上、オランダ軍2890人、ベルギー軍約7000人、イギリス軍約3500人、ドイツ軍については戦死者2万7074人、負傷者11万1034人、行方不明1万8384人という記録が あるそうです。

第1次大戦と20世紀サイト「第1次大戦」: D計画-攻勢防御の問題点

当時フランス陸軍は世界最大の兵力を擁し3000両以上の戦車を保有しており、 かくも短期間で崩壊するような事態は、連合軍首脳の誰も想像もしなかったでしょう。フランス軍の最大の敗因は戦車の集団的運用法の研究がドイツ軍に比べて大幅に 遅れていたことで、戦車自体の性能はドイツ軍のものに劣っていたわけではなく、総合的にみてむしろ優れていたといわれます。 確かにフランス戦車のほうが装甲も厚く武装も強力で、適切に使われていればドイツ軍に大きな打撃を与えることができたかもしれません。 しかしその速力はドイツの戦車にかなり見劣りがします。当時のドイツ戦車は対仏戦では実質的な主力戦車であった チェコ製のものも含めて 時速40kmで走れたのに対し、ほとんどのフランス戦車の最高速度は時速20kmから30kmといったところでした。 そのなかで時速40kmを出すことが出来た新鋭戦車が少数存在し、それがソミュアS35戦車でした。

そのソミュアS35とはどんな戦車だったかについては、これらのサイトをご覧ください。

ソミュアS35も、「砲塔内に一人しかいない」というフランス戦車に共通の欠点をまぬがれておらず、これはときに致命的な結果をもたらした のではないかと思います。

The Hellfire Stew Mess : French WWII Tank Images  (破壊された B1 bis 戦車、ドイツ軍の手に落ちたソミュアなど)