この冗談のような建築は、螺旋を描いてはいませんが、ウェディングケーキ状の輪郭においてブリューゲルが描いた バベルの塔に少し似ているように思います。しかし空想の産物というわけではなく、1930年代(スターリン時代)のモスクワで 大まじめに計画され、実際に着工されたものです。完成すれば頂部のレーニン像だけで80m(100mという説もあり)、全体で415mと当時のビルとしては世界で最も高いものになるはずでした。 (ちなみに横浜のランドマークタワーは296m、六本木ヒルズは238.05mだそうです。)実際には基礎部分を建設したものの建設地の地盤がやわらか過ぎて泥に沈んでしまい、完成しませんでした。
この場所にはもともとナポレオンを撃退したアレクサンドル1世が勝利を記念して建てた「救世主キリスト教会」がありました。黄金のドームが輝く目立つ建物でした。スターリン時代にはロシア正教は弾圧され、「救世主キリスト教会」は破壊され、 その跡地に議場を含む新国家のシンボルとなる建物を建てようとしたわけです。 しかしドイツ軍の侵攻でそれどころでなくなったこともあり結局建設計画は放棄され、戦後は巨大屋外温水プールになり、そしてエリツィン時代に「救世主キリスト教会」が初代そっくりに(現代の工法で)再建されました。
ここで当時の宣伝フィルムが見られます。ソヴィエト宮殿の模型を囲み関係者が談笑するシーンや建設現場の様子などがあります。設計で中心的役割をはたした建築家ボリス・イオファンの 精悍な風貌、誇らしげな表情が印象的です。「救世主キリスト教会」が破壊される様子や戦後屋外温水プールになっていたときの動画もあります。
またここTotalitarian Art, Professor Werckmeisterでは ソヴィエト宮殿を含む1930年代のドイツ、イタリア、ロシアの建築、彫刻などの画像資料が多数見られます。ここのタイトルに"Totalitarian Art"(全体主義の芸術)とあります。この時代の3か国の建築や彫刻を並べてみると装飾を取り去るモダニズムの世界的潮流と重なりながらも、 確かにある特徴があることがわかります。近代化を極限まで推し進め古い秩序を破壊しすべてを人為的に再構成しようという意志が 感じられますが、とくに独露の場合は20世紀になお新古典主義風を好むという面もあり、大仰で、権威主義的な感じがします。「少し前のバウハウス、ロシア・アヴァンギャルドの時代には前衛的であったものが、しだいに硬直化していった様子がうかがえます。
ところで近年、このようにロシア・アヴァンギャルドを豊饒の時代とし、その終焉をもたらしたスターリン体制下の社会主義リアリズムと対立的にとらえるという旧来の見方に対し、ボリス・グロイスという人が異議をとなえ、両者を連続的に捉える見方を打ち出したそうで、 それ以来再評価がなされているようです。- "ロシア文化史の新しい見方"貝澤 哉 - イタリアの「未来派」は当初よりファシズムに至る芽を内包していたようですが、ロシアの場合も似たところがあるのでしょうか。
いずれにせよ、ソヴィエト宮殿が出現した時期はロシア・アヴァンギャルドの終焉の時期であり、国家の威信を体現するその姿は威圧的で「1984年」(山形浩生氏による翻訳中のpdf)や「未来世紀ブラジル」 (「われら」という作品もあるそうです!) で描かれたような管理社会の冷酷さを感じさせ、スターリンにより多くの人々が虐殺されたという時代背景とあいまって恐ろしげに見える気がします。あるいは多くの独裁国家の陳腐な記念碑たちの元祖と見ることもできるかもしれません。
しかしモダニズムの世界的潮流と重なる部分にも着目してみましょう。直線が強調されたアール・デコ風の摩天楼というところに、当時のロシアの人々のアメリカへの素朴な憧れと対抗意識が見えるように思います。ニューヨークのアール・デコの高層ビルの代表格、 クライスラービルとエンパイアステートビルが完成したのは1930年、31年のことでした。そしてこの時代には不安と裏腹だったかもしれませんが科学技術に対する素朴な信頼がありました。 1926年にドイツでつくられた映画「メトロポリス」も工業化社会の暗い面だけを描こうとしたとは思えません。現実のニューヨークの高層ビル群に想を得て、巨大都市のセットを非常な情熱をもってデザインし、それを単に希望のない牢獄としてのみ描くのではなく目を見張る何かを作り出そうとしています。 ニューヨークの摩天楼が当時の人々の創造意欲を強く刺激したことがうかがえます。(Fritz Lang's Metropolis , メトロポリス(名作一本)) 後に「スターリン様式」の超高層ビルを作った人々にとっても、エンパイア・ステートビルは強烈な存在だったのではないかと私は考えています。(Stalinist Skyscrapers)
また優雅な一面もあります。1937年パリ万博ソ連館に出展されたソヴィエト宮殿の模型(上述"Totalitarian Art, Professor Werckmeister"より)など多くの資料には正面にサン・ピエトロ広場を思わせる半円形に並んだ列柱がみられます。ボリス・イオファンはローマにいたことがあるのでサンピエトロ大聖堂の回廊を参考にしたかもしれません。ところが最終的なものと思われる1939年の図面("RUSSIAN UTOPIA A DEPOSITORY"より--main page)ではなぜかこれは姿を消し横一直線になっています。過去からの引用を否定したためにかえって豊かな表情を失ったように私には思えます。背面では逆に出っ張った部分が半円形を描いているのでもともと半円のモチーフの変化をつけた繰り返しという意図があったはずです。 せっかくの優美な半円形なので拙作ではこちらをを再現しています。おもしろいことにサンクトペテルブルクで1811年に完成したカザン大聖堂も同様の半円形の回廊を持ち、こちらの場合は建築家がサンピエトロ大聖堂の影響を受けたことが知られています。そしてこのカザン大聖堂はナポレオンとの戦いのあと救世主キリスト教会と同じく勝利の記念碑としての役割をになっていたという奇妙な符合があります。http://homepage2.nifty.com/hashim/russia/s/spb08.htm
ここhttp://www.arth.upenn.edu/spr01/282/w6c2i29.htmに当時のコンペに参加したル・コルビュジエの設計案があります。一応国際コンペというかたちをとっていた とはいえ、ソ連邦人民でないル・コルビュジエの案が採用される可能性は最初から無かったのではないでしょうか。
画面中真空管ラジオを配していますが、戦前のソ連製ラジオの画像資料はここにありました。http://oldradio.onego.ru/